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私の出産体験記:韓国で出産したらこうなった(カッチ)


カッチ(子供1人&元看護師&韓国在住)です。私のはじめての出産体験談をお届けします。主人の母国である韓国での出産記録です。

序章:出産予定日10日も前なのに・・・

妊娠38週2日目の正午ごろ
当時学生だった私は、友人と一緒にカフェで論文を書く約束をしていました。出かける準備をしているとき、おりものが多めに出たような気がしてトイレに行くと、鮮血が混ざっていました。病院に行こうか、様子をみようかと迷いましたが、すでに臨月に入っていたので病院へ行ってみることにしました。

友人には「すぐ戻れるだろうから、あとで合流しよう」と連絡し、軽い気持ちで通っていた病院を受診しました。しかし、「羊水が含まれているから、このあとすぐに産みます」と言われ、すぐに出産することになってしまいました。

このとき、予定日まで10日も残していたので、「えっ、赤ちゃんに会えるの?もう会えちゃうの!?」という期待、「論文がまだ完成していない!これからの日程どうしよう~」という焦り、「もうすぐ産まれるところだったんだから、今日産んだって関係ない」という余裕など、様々な感情が入り混じっていました。

医師にお願いし、一旦自宅へ帰って入院の準備をすることにしました。羊水が漏れている状態での帰宅だったので、医師も渋々といった感じでしたが。昼休みでたまたま帰ってきていた主人にこのことを伝えました。私よりはるかに焦っている主人を落ち着けながら、不安な気持ちを隠しながら、黙々と淡々と入院準備をしました。

第一章:入院後すぐ、陣痛促進剤開始。1時間で陣痛マックス!

午後3時ころ
病院に行くと、すぐに分娩室へ通されました。分娩台に寝かせられ、点滴ルートを取られ、陣痛促進剤を開始されました。私は、さっそく分娩台に乗せられたので「もう数時間もしたら出てくるんだろうな~」と思っていました。

分娩室は、薄暗い間接照明とアロマキャンドル、クラシック音楽、そしてベッドの横にはソファーもありました。落ち着いた雰囲気を演出されていたので、思ったより居心地は悪くはありませんでした。

最初の30分~1時間くらいは、親・主人・友人にメールができる程度の陣痛でした。少し重い生理痛くらいの感じで「まだまだ余裕~♪」と思っていました。しかし、1時間を経過するころから、耐えられないほどの陣痛が1分おきに襲ってきました。陣痛はかなりの頻度と痛みできているのに、まだ子宮口は2センチしか開いない状態。

「こんなんでいつ産まれるんだよ!促進剤強すぎなんじゃないの!」と不信感が芽生えました。陣痛が来るたびに全身を硬直させるように力を入れ、ベッドの柵につかまりながら、声も出さずに必死に耐えました。このときまでは、「この陣痛に耐えていればもうすぐに赤ちゃんに会えるんだ!」という気持ちがあったので耐えられました。

でも、主人が来ないことにだんだんと苛立ちはじめました。「もう産むってわかってるんだから、会社に戻ったらすぐ直帰すればいいのに、何をやってるんだよ!」という気持ちで、何度も何度も主人にメールを送りました。午後5時近くなってやっと来た主人は、私のあまりの変貌にかなり引いていました(笑)

第二章:ベテラン看護師さんに救われて、陣痛促進剤は中断

午後6時ころ
陣痛は1分ごとに襲ってきて、かなりの痛みなのに、子宮口はまだまだ開かず3時間で2センチ弱。夜勤のベテラン看護師さんが私の状態を見て「(促進剤を)こんな入れ方しても産まれないし、産婦さんが辛すぎる」と言ってくれました。

そこで、医師とも相談となり、陣痛促進剤は一旦中断。翌朝の分娩を目処に、長めのスパンで見ることになりました。その時、「神だ。この神ナースを信じて産もう!」と決めました。

でも、陣痛促進剤を中断したからといって、陣痛まで消えるわけではありません。一度陣痛がついてしまったため、1~2分おきの陣痛は継続しました。さっきまでは、あれだけの陣痛に一人で歯を食いしばりながら耐えてこられたのですが、「まだまだ赤ちゃんに会えない」「この陣痛がまだ果てしなく続くんだ」となると、私の心はボッキボキに折れていきました。

陣痛が来るのが怖くなり、「もう嫌だ!」と口にするようになりました。この時点で子宮口の開きは不十分ではありましたが、無痛用の硬膜外麻酔のルートを入れてもらうことになりました。

そして、一旦病室へ。そこから2時間ごとに内診のために分娩室へ通いました。陣痛が来たら座りこみ、陣痛が止んだら歩く・・・というのを繰り返しながら、1階下にある分娩室まで通うのはかなり辛いものでした。

主人が、夕食にと私が一番好きなお寿司を買ってきてくれました。しかし、一貫だけやっとの思いで口にしただけ。それから数時間、陣痛が来るたびに主人に腰をさすってもらいながら、なんとか耐えていました。主人は、会社を途中で抜けてきたせいで残りの仕事をしながら私のケアをしなければならない状況でした。

さらに、「この瞬間を残しておかねば!」と言い、動画まで撮影しだす始末。私が、「腰!腰!腰!」と叫んでいるのに、主人はまず動画のスタートボタンをポチッ!っと押します。「そんなことしてる場合じゃない!」という心の叫びも声にはならず、ひたすら「腰~!!!!」と叫びました。

第三章:面会に来た義両親に「話しかけないでください」

最悪なことに主人が義両親へ入院を報告してしまったために、夜11時に面会に来てしまいました。主人は止めたと言いますが、結局は病院まで来てしまったので、門前払いもできず病室まで来てもらうことに。

主人は、「自分が返事をするから、何も応えなくて良いからね」と言ってはくれましたが、「こんな状態のこんな時間に、ましてや義理の両親がなぜ病院まで押しかけてくるんだ!」とかなり頭にきました。

一言も話さず、目も合わせられない私を見て、病室に入って数分で状況を把握したのか、すぐに帰ってくれました。出て行くときに、義父さんに名前を呼ばれましたが、「話しかけないでください」という、私がやっと搾り出した言葉に素直に帰ってくれました。あの時私が「話しかけないでください」と言ってきたという話を未だにされます(笑)

第四章:無痛麻酔薬を投与してもらい、ひと時の休息

午前0時ころ
午前0時まで子宮口は2センチ。陣痛が始まってから9時間が経過しても全く前進していない。ここまで陣痛に耐えているのに子宮口が全く開いていないことにさらに心が折れました。本来、子宮口が4センチになるまで無痛の麻酔薬は投与しないのが原則ですが、私があまりにも辛がるので、ベテラン看護師さん(神)が投薬を開始してくれました。

麻酔投与開始から10分もしないうちにふとももあたりがが暖かくなり、ピリピリしてきました。すると、足の感覚がなくなり、あれだけ辛かった陣痛がすっと消えていきました。本当に全く陣痛を感じなくなり、私は少し眠ることにしました。

第五章:陣痛再開!子宮口が小さくて歩かされる

午前3時ころ
3時ころから麻酔薬の効果が切れ始め、徐々に陣痛が始まりました。4時にはかなり陣痛が強くなってきたので、分娩室に行ってみることに。そのときで、まだ子宮口3センチ。

ベテラン看護師さんに「30分で良いので歩いてください」と言れました。私は、主人と一緒に30分必死に歩きました。5歩くらい歩いては、ベンチにつかまって陣痛に耐え、また数歩歩いての繰り返し。このときが一番辛い時間でした。

時間は思っているより進まず、陣痛はどんどん強くなり、立っているのもままならないのに歩かなければならない。「もう嫌だ!いつまでこうしてるの!」と何度も言いました。ベテラン看護師さんが、あまりにも痛がる私を見て「最初(陣痛促進剤の投与時)は、あれだけの陣痛に耐えてたのに、えらい痛がるね~」と言ってきました。

「私の心はすでにボッキボキに折れてるんだよ!」と思いましたが、ベテラン看護師さんの言ったとおりに歩いた結果、子宮口が5センチに開いていました!「やっぱりこの看護師さんについていくしかない」と思いました。

第六章:陣痛促進剤、再開!子宮口、全開!しかし、分娩室から出される・・・

6時から陣痛促進剤を再開すると同時に、2回目の無痛麻酔薬の投与をしてもらいました。夜中の投与よりも明らかに陣痛のほうが勝っている感覚でした。8時に子宮口がついに全開!しかし、今度は麻酔薬のせいで下半身に力が入らず、分娩に至れないとのこと。せっかく子宮口が開いたのに、今度は麻酔薬の効果が引くのを待たなければなりません。

そうこうしていたら、すでに「うぎゃー!」とうなっているる産婦さんが入ってきました。「こっちは経産婦で進行が早そうだから」と私は後回しにされ、寝ていた分娩室から出されてしまいました。

隣の分娩室にいたら、「うぎゃー、きゃー!」とさっきの産婦さんの声。しかし、私はすでに人の苦しみや悲鳴に動揺できる余裕すらない状態でした。なお、この産婦さんとは、同じ時間帯に同じ分娩室で同じく女の子を産んだという縁で、今も仲良くしています。

第七章:巨大なう◯こを踏ん張るように

まだお尻から下がピリピリして力が入りません。「でも、お腹痛いから早く出したい!」私の分娩室も慌しくなり、分娩の準備が進められました。

麻酔薬の効果が残ってはいましたが、陣痛はかなり強くなってきていて、完全に破水もしたので、少しずついきむようにも言われました。隣の分娩を終えた医師も合流して、いよいよ私の番といった感じになりました。

「う◯こを踏ん張るみたいに力を入れて〜」と言われて必死に踏ん張ります。なかなか出てきません。私は、本当に「う◯こなんだ!」と思って、う◯こを踏ん張るのと同じように力いっぱい踏ん張りました。

しかし、頭が見えるくらいでなかなか出てきません。一人の看護師さんがベッドに上がり、上からいきみに合わせて私のお腹を押しました。これが痛くて痛くて、産後はアザになりました。

陣痛は正直、入院直後の陣痛促進剤の時のほうが痛かったです。産むときにはまだ若干ではありますが、麻酔薬の効果が残っている感覚がありました。それより腹を押されるのが痛くて「コレヤメテクダサイ!」と必死にナースの手をどけようとする私。

「これが最後よ~!」と言われながら、何回も何回も踏ん張りました。「最後なんて一生来ないんじゃないか」と思いました。「もう、いっそ切ってくれ」とも思いました。しかし、頭を横切ったのは、「帝王切開になったら論文書く余裕なくなるっ!」だから、とりあえず頑張って踏ん張り続けました。

第八章:9時23分。やっと出てきたわが子は紫色・・・

何度も踏ん張り続けていると、「出た!」と言われました。出た感覚が全くわかりませんでした。やっと出てきたわが子はぐったりしていて、すぐには泣きませんでした。お腹の上に乗せられた赤ちゃんは紫色のゴム人形のようでした。

主人がへその緒を切って、すぐに連れて行かれてしまいました。処置室ですぐに泣いたようですが、「私の押し出す力が弱かったせいでかなり酸欠状態だったんだろうな」と、あとから申し訳ない気持ちになりました。

そのあと、会陰の縫合をされたり、オムツをされたり。そうこうしていると、綺麗に包まれた赤ちゃんが運ばれてきました。「え!超可愛い!」というのが最初の印象。顔はこぶしくらいの大きさしかなく、目を開けてくれていました。3人で記念撮影をして、赤ちゃんは新生児室へ。私は病室へ運ばれました。

出産後は、かなりのアドレナリンが出ていたのだと思います。すべてを手にしたような高揚感とやり遂げた満足感で、ハイテンションになっていました。出産後すぐに主人の目を盗んで髪も洗いました。

あとがき:産んだあとの高揚感は一生忘れない宝物

陣痛に耐えること19時間、そのうち無痛麻酔が効いていた時間5時間。「もう嫌だ」って何回言ったでしょうか。ネットで「頑張ってるのはママだけじゃなく、陣痛の時は子も辛いんだ」という記事を見ました。だから、「嫌だ」とかじゃなく「一緒に頑張ろう」って気持ちを持たないとダメだと。

でも、辛くて辛くてつい口から「もう嫌だ!いつまでこうしてるのっ!」って出てしまっていました。主人も、どうしてあげて良いかわからないままに、一生懸命ケアをしてくれたのはわかっています。私に「大丈夫?」と聞くと、「大丈夫じゃない!」と怒られたり(笑)

今思うと、異国での出産は不安でしたが、主人のそばで産んでよかったと思っています。日本に里帰りをしていたら、私は楽だったかもしれませんが、この苦労と感動を主人と最初から最後まで共有することが難しかったかもしれないので。

韓国の分娩システムや看護師の対応で雑な部分もありましたが、信じられる看護師さんに出会えたことだけでもラッキーだと思っています。何よりわが子が無事に生まれてくれて幸せです。

今でも分娩のことを思い出すと、嫌なことや辛いことも思い出されますが、主人が頑張ってくれたこと、今となれば笑い話になること、産んだあとのあの高揚感のほうが忘れられません。どんなに辛くても絶対に乗り越えられることも知りました。

あの19時間という時間は、一生忘れられない宝物となりました。それをこのように記録して、出産を控える妊婦さんの役に立てることも幸せです。 [完]

利用した病院

病院名:アイエル産婦人科
住所:韓国ソウル特別市

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