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私の出産体験記:1600mlの多量出血で意識を失いそうになった(すずこママ)

すずこママ(1980年生まれ/子供2人/元看護師&保健師)です。私の初めての出産は、おしるし、陣痛から始まり、陣痛が3分間隔なのにSNSに実況中継していたほど余裕があったにも関わらず、出産時には大量出血&意識が遠のくというハプニングに見舞われる忘れられない出産になりました。そんな私の体験記をお届けします。

序章:予定日4日前の「おしるし」にドキドキ

■39週0日(3月28日) 
1人目の長女の予定日は4月4日でした。「学年的に、最後の3月生まれよりは4月生まれのほうがいいのかなぁ?」と思いながら、何とか4月生まれにしたくて正期産の期間に入ってからはあまり動かないで静かに過ごしていました。

そんな中、突然出血混じりのドロッとしたおりもの、いわゆる「おしるし」が!心配になって、「おしるし」についてネットで調べると、「おしるしがあってから1日以内の出産が一番多い」という統計グラフを発見。

前駆陣痛も恥骨痛もまったくなくて、「まだまだかな」と、他人事のように思いながらも、4月まではあと4日もあったので、内心ドキドキでした。

第一章:陣痛を感じて、産院へ2度電話

■39週1日(おしるし翌日)
いつになく眠れない夜を過ごした次の日は、何だかお腹が痛いような重だるいような感じです。おしるしは続いていて、トイレへ行くたびに生理のときの血の塊のようなものも出ていました。

午後1時くらいから重い生理痛のようなものがジワジワくる感じが続き、なんとなく時間を測ってみると規則的!?でも、ひどくならなかったのと、産院は車で5分の場所だったので夕方まで様子をみることにしました。

午後5時半。陣痛らしき痛みの間隔が10分間隔になり、一旦産院に電話してみました。「まだ声に余裕があるからもう少し様子をみてからまた電話ください」と産院のスタッフに言われました。

「そうか、私ってまだ声に余裕があるのか・・・」と冷静になりつつ、落ち着くためにシャワーを浴びて、痛みの合間に家のことをいろいろ片付けて、入院準備もバッチリ体制にして夫の帰宅を待ちました。

22時。夫が帰宅してからは痛みの間隔も6~8分間隔になっていました。もう自宅待機は限界かなと思って、再び産院に電話すると、「そろそろ来てください」とのことで産院へ向かいました。

第二章:痛みの波を見計らって、SNSで実況中継をする余裕をみせる

入院手続きを済ませてから診察してもらうと、子宮口は3~3.5cmに開大していました。ここからは痛みの波との格闘がスタートです。

まず、陣痛間隔が本当に短くなるまでは、入院中に過ごすお部屋(個室にしました)で待機です。痛みがあるときは身動きできないのですが、痛みが引くと普通に過ごせるのは本当に不思議な感覚でした。

その痛くない時を見計らって、自宅待機中から更新していたSNSで実況中継を開始しました。同じくらいの妊婦友達や産後のお友達からたくさん応援コメントをもらい、励まされながら長い待機時間を過ごしていました。

陣痛出現中は四つん這いの体勢が一番楽で、痛みを例えるなら「身悶えする生理痛」という感じでした。痛みの長さは1分くらいで、部屋でNSTのモニタリングをしていると「3分間隔くらいになっているよ」と助産師さんから言われましたが、子宮口はまだまだだそうでお部屋待機。

一方、同室では夫が簡易ベッドで爆睡。「私がこんなに痛みと戦っているのに!」と心底腹が立ったことは、一生忘れられないことリストの一つです(笑)

第三章:いきみ逃しにテニスボール・・・まったく意味なし!

■39週2日(3月30日)
陣痛は順調で、子宮口の開きも順調に進みました。自力で動くのも限界になったAM4時頃に、ようやく車いすで分娩室へ移動しました。内診してもらったら、まだ子宮口が7cm。 陣痛の間隔は短くなって、合間の休息も一瞬で、その休息時間ですら痛みが発生し始めます。休まることない痛みに耐える時間が長く感じました。

いきみたくなってからは、いきみ逃しにテニスボール!・・・なんてまったく意味もなく、旦那や助産師さんが握りこぶしで押し上げてくれなかったら本当に何かが出そうでした。

あのいきみたい感覚は、理性では抑えられないものがありました。 よく体験談で聞く、「う◯ちを出したい感覚」をこの時にすごく実感しました(笑)

第四章:「9.5cmじゃダメなの!?おまけしてよ!」

そして、やたらと口の中が乾いていたので「大きく息を吸って~」と 言われるたびにのどがひっついて辛かったです。それまで暑くも感じなかった分娩室だったのに、だんだん汗だくになっていきます。手慣れた助産師さんが用意してくれた氷水と、冷たい濡れタオルには本当に助けられました。

痛みといきみ逃しと戦いつつ、 一旦退室した助産師さんをどのタイミングで呼んだらいいか悩みながらも、「もう限界~!」と思ってナースコール。内診してもらうと「9.5cmですね~。あとちょっと!」

私「・・・0.5cmくらいダメなの!?おまけしてよ!」とガッカリ。それからまた30分くらいして 「さすがにもういいでしょ!」と思って、また診察してもらいました。体力も意識もなくなりそうな中、やっと10cmに!

すると「今、準備するからまだいきまないでね~!」・・・と言われて、「まだなの?」と何回泣きそうになったことか・・・。「なんで準備しといてくれないの!」と親切な助産師さんにすら八つ当たりしたくなる辛さでした。

その時の様子は余裕がなくて記憶がないですが、夫が言うには「あまり叫ばずに静かに痛みに耐えていたよ」だそうです。私の隣の分娩室にいた経産婦さんがものすごい声で叫んでいたらしく、余計に静かに見えたそうです(笑)

第五章:焼け付くような痛みの中で長女誕生

3月30日AM7:33
ベッドが分娩台に早変わりして、やっと「いきんでいいですよ」と言われました。たけど、前傾姿勢になっていきむという行動は、想像以上に体力を消耗させました。陣痛が始まってからもう数十時間。「もう体力なんかないー!無理ー!」と心の中で叫びつつも、助産師さんに従って最後の力を振り絞りました。

いきむこと、たぶん10回以上・・・私のいきみ方が下手だったらしく、べビーの頭は「見えてるからね~!」と言われても一向に出てきません。体力限界の中、会陰切開をして最後のいきみとともに吸引のお手伝いもされて、焼け付くような痛みと共にべビーは出てきたのでした。

2900g弱のちょうどいいサイズな娘にご対面したとき、「こんなに小さいのに、なんでツルっと出てこなかったの~!」という思いと、「お腹にいたのはこの子なんだ・・・」という想いでいっぱいになりました。

元気に泣きまくる我が子は長い時間の陣痛に耐えたせいか、お顔もむくんでいてしわくちゃでしたが、胎脂も少なくて皮膚色も良くてとてもキレイな赤ちゃんでした。

第六章:子宮に綿を詰められて激痛で泣く

その後の後産は、体力消耗&意識朦朧で気づかないうちに胎盤も取られ去っていました。すべて終わって落ち着いてから胎盤を見せてもらいました。それまでお腹で赤ちゃんを育ててくれたもう一つの命のようなものだったので、どうしても見たかったんです。思った以上に立派でした。

最後に待ち受けていた会陰縫合や止血処置は、出産よりも大変でした。縫合は麻酔しているのに効いていないのかチクチクと痛いし、止血のために子宮に綿のようなものを詰め込まれたのですが、入れるのも出すのも激痛で涙が出ました(泣)

輸血まではいかなかったものの1600mlの出血多量となった私は、意識が遠のく中で1000mlの点滴を全開の速さで滴下されます。ボーっと点滴を眺めていると、みるみるうちに全身が冷えてきてブルブルと悪寒がおさまらなくなり、電気毛布をかけてもらい、産後もバタバタした数時間でした。

もちろん、自室へ戻れる時間になっても意識は朦朧としているし、起き上がれないしで、ストレッチャーで運んでもらいました。圧倒的に血が足りなかったため、出産直後に撮ってもらった記念の家族写真の私は、顔色がひどかったのも今ではいい思い出です(笑)

おわりに:母は強し!廃人状態から一日で復活

産後の数時間はとにかく疲労困憊で、「赤ちゃんどうしてるかな?」なんて思い出す余裕もなくひたすら眠りました。半日くらいは起き上がれなくて、夕方になって看護師さんが「そろそろトイレまで歩いてみようか」と起こしてくれました。

ですが、キーーンというひどい耳鳴りとめまいに襲われて意識がなくなりかけたので、その日は母子同室も無理と判断。夜には高熱まで出始めて、1日中廃人のようでした。

次の日になって、ようやく母子同室でお世話がスタート。裾の傷みや貧血はあったものの、1日ゆっくり休んだおかげで前日までの姿が嘘のようにスタスタ歩けるまで回復しました。

出血多量のママには仕方がないそうですが、足首から先がゾウさんみたいなむくみ足になってしまい、普段は看護師として患者のゾウさん足を見てきた私だったので「自分の足でもこんな風になるんだ~!」と一人で笑っているくらい元気でした(笑)

退院時も貧血はそのままで、ヘモグロビンの数値が7しかなくて、普通の人がこの数値なら輸血が必要だそうです。ですが、産後ママはこの数値でも徐々に回復するので問題ないとのことで、「母親になった身体って強いんだなぁ」と実感したのでした。

産んだ直後は「あんな痛みはもう一生嫌だ!」と思っていたものですが、不思議なことに2人目を出産して、3人目にまで到達できるとはあの頃の私は夢にも思ってなかったでしょうね。今では賑やかな子供たちに囲まれて、「母親にしてくれてありがとう」という感謝の気持ちでいっぱいです。

利用した病院

病院名:えんどう桔梗マタニティクリニック
住所:北海道函館市桔梗5丁目7-15
院長:遠藤力 先生

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