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初めての出産体験レポート:バルーン→人工破膜→陣痛促進剤を使った出産はこんな感じです(むつみ)

むつみ(1982年生まれ/子供1人/認定産後ドゥーラ)です。私のはじめての出産は、妊娠41週になっても陣痛が来なくて、バルーン挿入→人工破膜による破水→陣痛促進剤→会陰切開を経て出産しました。できれば自然な出産が良かったのですが、それでも宝物が2つできる良い経験ができました。その一部始終をお伝えします。

序章:歩いても歩いても陣痛がこなくて、陣痛促進のため入院

「赤ちゃんが下りてくるように歩くといいよ」と周りからすすめられて、臨月に入ってからは毎日できるだけ歩くようにしていました。でも、毎回の検診で「子宮口はまだ1cmくらいですね~」と言われてばかりです。すぐそこまで迫っているはずなのに、まったく出産の兆しは見えません。

助産師さんや近所のおばちゃんからは、「お母さんのお腹の中が居心地いいんだね」と励ましてもらいましたが、私は「おしるしってわかるもの?」「いつ陣痛がくるのかな」「外出先で破水したらどうしよう!」と、不安ばかりの毎日でした。

妊娠40週の検診のときに「妊娠41週になっても陣痛が来なければ、入院して促進処置をしましょうね」と言われました。妊娠糖尿病があったので、「それ以上待つのは危険」という先生の判断でした。「自然に陣痛が来ますように・・・!」と願い続けましたが、結局は何も起こらないまま入院の日が来てしまいました。

第一章:2度のバルーン挿入で15分間隔の微弱陣痛が続く

午前に入院してまもなく、バルーンを子宮に入れて、子宮口を広げる処置をしました。子宮口に入ったバルーンは、風船そのものでした。「風船が股の中に入っている!」と思うと、なんとも言えない違和感です。

バルーン効果でさっそく陣痛が始まりましたが、まだ15分間隔です。陣痛としては弱いものだったようですが、痛みの波は十分あって、「うっ・・・!」と私は一生懸命に耐えます。

そんな私のそばで、付き添いの母からは「ドアのノブがかすんで見えないくらいにならないと生まれない」と、よくわからない例えを言われ、「そんなこと言ったって私は痛いんだよ!」と叫びたい気持ちを必死に抑えていました。

結局、一度目のバルーンでは子宮口は5cmまでしか広がらなくて、役目を果たしたバルーンはしぼんでしまいました(後半、違和感がなくなったのはそのためだったらしい)。

17時ごろに二回目の大きめのバルーンを入れました。バルーン効果が復活して、夜中の間ずっと15分間隔の微弱陣痛が続きました。スマホのアプリで陣痛間隔を記録していたのですが、暗い部屋に「ピカッ!」と光るスマホのライトにすらイライラしてきて、結局は手書きでの記録に変えました。

第二章:いきみ逃しのテニスボールの使い方を間違える母

翌朝になっても陣痛間隔が変わらないので、人口破膜で破水をすることになりました。「パンッ!」という弾けた感覚と、水が漏れたような感覚です。

「これが破水かぁ・・・自然に経験してみたかった・・・」と思ったのもつかの間、陣痛促進剤を点滴で投入してから、一気に陣痛の波が強くなってきました。自分では抑えきれない手の震えと痛みで、すぐにでもいきんでしまいたくなります。

「確か、すぐにいきんではダメだったはず!いきみ逃がしをしなくては!」と思って、荷物に入れていたテニスボールを母に出してもらいました。

ですが、私はこのテニスボールの使い方を母に伝えていなかったのです。本当は、肛門と尾てい骨のあたりにグッと当てるといきみ逃がしになるのですが、母は私の手に握らせるものだと思ったようです。

「違う違う!そうじゃないー!(# ゚Д゚)」

と声に出したくても、陣痛の痛みで声になりません。「もう限界だ・・・」と思ったところで助産師さんを呼んで、握りこぶしでいきみ逃がしをしてもらいました。さすがプロは的確でした!促進剤の点滴から30分で子宮口が全開になって、担架で分娩室に運ばれました。

ちなみに、このとき母が言っていた「ドアのノブが見えなくる」状態だった気がします。あのたとえは本当でした(笑)

第三章:ついに赤ちゃんとのご対面。すぐに母性が目覚める

通常、赤ちゃんはお母さんの背中側を向いているはずですが、息子はお腹側を向いていたらしくて、生まれるときの回転に時間がかかりました。「吸ってー、吐いてー、はい!今いきんで!!」と助産師さんに誘導されて、5~6回繰り返したと思います。無事に2700gの小さな命は生まれてきてくれました。

分娩室に運ばれる前から私の酸素が薄くなって、鼻から酸素チューブを付けられ意識がもうろうとしていたので、そのあたりの記憶はうっすらしかありません。

ですが、カンガルーケアで抱っこさせてもらって感じた息子の小ささ、体温、そして、隣のベッドに運ばれてへその緒を切ってもらったことは覚えています。カンガルーケアから離されて赤ちゃんが運ばれるときに「あっ・・・」と、すぐに寂しさと不安を感じました。その時からもう母になっていたのかなぁと思います。

第四章:後陣痛は1日で治まるも、会陰切開の傷の痛みは治まらない

夫は残念ながら仕事で東京にいたので、立ち会いはできなかったのですが、モニターに映し出された赤ちゃんの映像を母がカメラで撮って送ってくれていました。出産に関しては、夫はほぼ出番がありませんでした。

産後につらかったのが後陣痛です。「ギリギリギリ・・・」と締め付けられるような、身がよじれるような、お産とは違う種類の痛みでした。

私は妊娠中、「妊娠糖尿病」と診断されていましたが、体重は8kg増で標準圏内でした。助産師さんから「マラソンランナーの体型で、とても子宮の収縮が良いから後陣痛もひどいけど、1日で治まるよ」と言われました。

その言葉通り、後陣痛は1日で治まって、妊娠中に増えた体重は、産後6日間の入院でほぼ産前の体重にもどりました。でも、記憶がほとんどない中でされていた会陰切開の傷がずっと痛くて、入院中はドーナツクッション無しでは過ごせませんでした(涙)

終章:もう一つの宝物「3年日記」

退院のときに、産院から出産時の赤ちゃんの泣き声を録ったボイスレコーダーをプレゼントしてもらいました。今でもその声を聞くと涙が出そうになります。

産後2年経って、いまや息子もおしゃべり上手になりました。息子の出産日から「3年日記」を書き始めて、もう3年目になります。出産日は、あのイライラしながら書いた夜中の陣痛間隔の記録から始まっています。

「あの出産からもう2年経つんだ」と思うと遠い昔のように思えますが、3年日記を読み返すたびに、毎日小さな成長を重ねている息子を愛おしく感じています。

最近はイヤイヤ期真っ只中の息子に手を焼いて、「うぎゃー!」とイライラすることも少なくないのですが(笑)、お産から始まるこの3年日記は何よりの大事な記録で、息子とともに私の宝物です。[完]

利用した病院

病院名:有松病院
住所:福岡県嘉麻市鴨生824
院長:有松 直先生

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